名選手FILE 32【館山昌平】
2021年 01月 17日
暖かい土曜日でございました (^∇^)
昼前、一息つきにバルコニーへ。
プチっと驚いちゃう..暖ポカポカなり。
でもって設置してる温度計は17℃。
毎年、こういう温もりに至る時に。
思い出すのはキャンディーズの3名様。
春一番も間もなくかもって\(^o^)/
てな中でタイトル件へ参ります。
一部の方にはお待たせって事でして。
2019年の引退までスワローズ一筋。
不屈の野球人生を全うした投手。
本日は彼の事を書かせていただきます。
館山昌平。
2002年ドラフト3位入団。
以後、17年間..共に闘ってくれた。
生涯実績は以下。
279試合 21完投 11完封 7無四球
85勝 68敗 10S 24H 防御率3.32
1392回 1358被安打 129被本塁打
452四死球 998奪三振 WHIP 1.23
日大からプロ野球入り。
思い出しますナ。
1年目、打線との巡り合わせもあって。
なかなか勝利投手になれなかったっけ。
以後は”悲運のエース”って感じ。
ホントの本当にケガとの闘い野球人。
2006年の救援降格が今でも不思議。
それでも先発エースに返り咲く館山クン。
石川クンと共にね。
左右エースって感じで燕を支えてくれた。
こんな感じでございましたね。
2003年 初登板
2004年 春に右肘靭帯断裂
当年3月にトミー・ジョン手術
2005年 プロ初勝利、この年10勝
2006年 リリーフに配置転換
2008年 先発に再度配置換え
2009年 16勝(6敗)最多勝獲得
2013年 初の開幕投手
2008年には最優秀勝率投手を獲得。
この年に結果出したのが大きかった。
以後、5年連続2ケタ勝利。
2013年、2試合目に右肘違和感。
これは私的にはショック過ぎました。
右肘靭帯再断裂..戦列離脱しちゃう。
館山の”辛い時代”が本格的に始まった。
チームとしても辛い時代になっちゃう。
途端に2年連続最下位へ撃沈だから。
1ファンの私としてもキツかったナ。
それでもね。
そういった辛さがさ。
2015年優勝のためにあったって。
筋書きのないドラマである世界で、
とてつもないストーリーが待ってた。
忘れもしない2015年6月28日。
現地で同志の燕ファン..大声援の中。
館山が1006日ぶりに登板。
あの現地観戦も忘れられないっす。
かつて感じた事のない盛り上がりぶり。
"タテヤマッ!" "タテヤマッ!"
いやぁ..あの復活は嬉しかったなあ。
試合前から周り気にせず涙そうそうで。
生涯忘れられない瞬間でした。
輪をかけて感動だったのが...
館山復帰までね。
借金生活状態のスワローズがさ。
モリモリ盛り返したって事実。
何度も何針も身体にメスを入れながら。
神宮に戻ってきた館山の不屈精神が、
チーム全員を激励し一丸となった。
彼の復活以上にコレが堪らなかった。
2015年の館山実績は以下。
11試合 11先発 6勝 3敗 防御率2.89
62.1回 44被安打 4被本塁打
41四死球 36奪三振 WHIP 1.28
故障前はパワーピッチャー。
でもって緻密な制球力。
その制球力が故障で失われながら。
この年、WHIP1.28ってのが凄い。
キャリアが成せる駆け引き満載。
素晴らしい”復活”でございました。
言わずもがな。
2015年リーグ優勝の立役者でした。
カムバック賞受賞..花満開だった\(^o^)/
彼の手術回数は8回。
そのうち、トミー・ジョン手術が3回。
計191針”名誉の証”が彼の身体に今もある。
館山の幾度にも至る復活は、
もはや形容しがたく。
野球選手の域を越え、
そう..人の生きざまとして。
私に迫ってきていた。
記憶に残る選手とは、
まさに館山のことって私は思うっす。
いやぁ..名選手でした、はい‼
神宮の杜
by jingu17
| 2021-01-17 00:34
| SWALLOWS回想
|
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