助っ人名選手【デーブ・ロバーツ】

球団の初代主砲って言えると思いますね。
デーブ・ロバーツ。

いささか古い話すぎて恐縮ぎみなれど...。
私がファンになった頃に4番を打っていて。
かつ、王サンと熾烈な本塁打争いをしたり。
そういう選手でして..。

6年半、スワローズに在籍した。

そう、ラミレスに抜かれるまでの32年間、
最も長い在籍期間を誇っていたロバーツ。
無論、長く居れた=結果が伴っていた。

てことで古い話ですが、彼の事など。

1967年~73年途中まで在籍。
742試合 721安打 179本塁打 469打点。
打率.279 出塁率.369。

在籍中、30本塁打以上が3回。
うち、40本以上が1回('68)。
打率3割以上が1回('69)。

ベストナイン2度受賞。
オールスターには4回出場した。

この時代は、
ドラフト制度が始まった直後なわけで。
ゆえにジャイアンツの戦力がまだ圧倒的で、
他球団は助っ人に頼るウエイトが高く、
ヤクルトは特に助っ人頼り、だった。

この当時の助っ人選手は、
6年半どころか、
同一球団に3年在籍すれば超優良の時代。
ちょっと来て、ダメで、
直ぐに帰っちゃうのが大半だった。

ロバーツはエライ人でしたよ。
勝てないし、身売り(産経→ヤクルト)の中で、
当然、給料は抑制気味なわけだから。
じっと我慢のロバーツ、だった。

大人しいイメージだったっていう記憶ですね。
けど、私はガキンチョだったから、
最初は、とっても怖く感じたのを覚えてる。


助っ人名選手【デーブ・ロバーツ】_f0385356_16575530.jpg


当時ガキンチョながらも、思い出は沢山。
てか、鮮明すぎる思い出が2点。

1点目は、復唱だけど本塁打王争い。
毎年のようにタイトル争いに、
顔を出していたようなイメージですわ。

相手は、あの方、王貞治サン。
長嶋茂雄サンとも首位打者争ってたっけ。
ただ、ランナー溜まった状態が少なく、
打点はあまり稼げなかったイメージ。

前を打つ選手の出塁が少なかったから。
ロバーツしか打てない時代、って感じだった。

それでも、
夏場まで3冠王だったりした時もあった(’69)。
なんかケガしちゃったんだっけかな。
急に出場しなくなって、結果、タイトル獲れず。

”大リーグからの出稼ぎに3冠王を取らせるな”
ってマスコミからの批判が酷かった記憶。

この頃はまだ私は正式ファンでないものの..。
ぼんやりしたファンだった私ではありますが、
この批判、はっきり覚えてますね。

2点目の想い出は、退団のこと('73)。
この頃は、もう、正式なファンだった私。

当時、外国人枠は2名。
ロバーツが不調の7年目に、
シーズン途中、ペピトーンって選手が急遽入団。
玉突きされたロバーツはトレードで近鉄移籍。
”退団”しちゃった。

けど、このペピトーンってのが、
まったく働かなくてなあ笑。

金だけ貰って「ごっつあんです」だもの。
「Thanks you!I’m happy。Good bye!」
って直ぐにアメリカ帰っちゃった。

凄いフレコミで入団しただけに残念でしたわ。

それだけにね、ロバーツ居なくなって、
益々、寂しさ徒然に、って感じだったっす。

4番ファースト、ロバーツ、背番号5。
私がファンになって初めてみた”大砲”でした。
彼と握手後、手を暫く洗わなかったりしたっけ。

確か昭和8年生まれ、なんですわ。
あの当時は外国人選手も、
昭和生まれで紹介されてたの、覚えてる。

しっかし我ながら古い話ですなあ。
こんな時代だもの笑。


助っ人名選手【デーブ・ロバーツ】_f0385356_17303469.jpg


西暦でいうと1933年生まれ、ですか。
今、85歳って事ですね。
母国パナマで暮らしているのでしょうか。

ロバーツ~、元気してますか?

チームがメッチャ弱い時代の主砲。
強い日本球団で働けなかったロバーツ。
でもチームを愛していてくれたロバーツでした。
ありがとうね!

球団初代ナイス助っ人でした。


神宮の杜






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by jingu17 | 2018-12-16 00:26 | SWALLOWS回想 | Comments(0)

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