名選手FILE8【石井弘寿】

石井弘寿。

ご存じ、
現1軍投手コーチです。

1995年、ドラフト4位で入団。
宮本と同じく、
小川監督のスカウト時代に掘り出した、
知る人ぞ知る名選手です。

生涯成績は、
339試合27勝55S、防御率2.66。
426回2/3 485奪三振。
奪三振率10.23。
2005年に最優秀救援投手賞受賞。
4勝37S41セーブポイントだった。

2004年アテネオリンピック代表に選出。
2006年はWBCに同じく選出される。

記録自体は、特筆するものではないが、
この投手。
先ずは直球が速すぎた。

スピードガン速度も153~4出てたけど、
体感スピードが凄かった。
てことは、
キレが良かったし、伸びていた。

当時は、
初速と終速という評価があって。
石井の速球は、
初速153㎞終速150㎞なんての見た記憶。

素人1ファンの私ですが、
速さはファン歴5本の指に入りますね。

そして何より、この男。
エピソードが泣けてくる。

入団後、
正確には1999年、
投手じゃダメ、打者に転向せよ。
って当時の首脳陣に言われちゃう。
制球が悪すぎ、もうアカンって...。
監督は若松さんだったと思う。

打者転向しながら、
当時の投手コーチ(伊東サン)が、
見捨てずに指導したはず。

そして、
フォームが安定し始め、
徐々に制球力がつき始める。

2・3年経ってから、
って調べてみると2002年。
四球が極端に少なくなった。

これ、はっきり覚えてます。

もともと、
直球のスピードは球界1・2。
スライダー&カーブも投げる。
制球力を身につけたら鬼に金棒って。

その金棒になっちゃった。

前述、2004年~2006年。
球界左腕NO.1に昇格しました。

名選手FILE8【石井弘寿】_f0385356_22525661.jpg

タラればなんですが、
2006年のWBC選出が、
彼の運命を変えちゃったのかな。
って私は思ってます。

選出されて無理しちゃった。

肩を故障。
代表も辞退。
その後は引退試合(2011年)まで5年。
とうとう1軍には戻って来なかったっけ。

打者転向の話がありながら、
ってか、若松サンの方針に近かった。

その中で、
見事、”鬼に金棒”まで成長した石井。

無論、
伊東コーチも”あっぱれ”でしょう。

故障しなかったら、今頃は...。
っていう野球選手は星の数ほど居ます。
彼もその一人。
引退試合は泣けたなあ。
お子さんがマウンドで花束渡して...。


石井弘寿。

短い期間でも、
ハッキリと脳裏に焼きついて離れない。
素晴らしい投手だった。

恐るべきストレート。
キレきれのスライダー。
オチョクったような遅いカーブ。
あのカーブも凄かったなあ。

いやあ、名選手でした。


神宮の杜





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by jingu17 | 2018-01-15 06:01 | SWALLOWS回想 | Comments(0)

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