名選手FILE8【石井弘寿】
2018年 01月 15日
石井弘寿。
ご存じ、
現1軍投手コーチです。
1995年、ドラフト4位で入団。
宮本と同じく、
小川監督のスカウト時代に掘り出した、
知る人ぞ知る名選手です。
生涯成績は、
339試合27勝55S、防御率2.66。
426回2/3 485奪三振。
奪三振率10.23。
2005年に最優秀救援投手賞受賞。
4勝37S41セーブポイントだった。
2004年アテネオリンピック代表に選出。
2006年はWBCに同じく選出される。
記録自体は、特筆するものではないが、
この投手。
先ずは直球が速すぎた。
スピードガン速度も153~4出てたけど、
体感スピードが凄かった。
てことは、
キレが良かったし、伸びていた。
当時は、
初速と終速という評価があって。
石井の速球は、
初速153㎞終速150㎞なんての見た記憶。
素人1ファンの私ですが、
速さはファン歴5本の指に入りますね。
そして何より、この男。
エピソードが泣けてくる。
入団後、
正確には1999年、
投手じゃダメ、打者に転向せよ。
って当時の首脳陣に言われちゃう。
制球が悪すぎ、もうアカンって...。
監督は若松さんだったと思う。
打者転向しながら、
当時の投手コーチ(伊東サン)が、
見捨てずに指導したはず。
そして、
フォームが安定し始め、
徐々に制球力がつき始める。
2・3年経ってから、
って調べてみると2002年。
四球が極端に少なくなった。
これ、はっきり覚えてます。
もともと、
直球のスピードは球界1・2。
スライダー&カーブも投げる。
制球力を身につけたら鬼に金棒って。
その金棒になっちゃった。
前述、2004年~2006年。
球界左腕NO.1に昇格しました。
タラればなんですが、
2006年のWBC選出が、
彼の運命を変えちゃったのかな。
って私は思ってます。
選出されて無理しちゃった。
肩を故障。
代表も辞退。
その後は引退試合(2011年)まで5年。
とうとう1軍には戻って来なかったっけ。
打者転向の話がありながら、
ってか、若松サンの方針に近かった。
その中で、
見事、”鬼に金棒”まで成長した石井。
無論、
伊東コーチも”あっぱれ”でしょう。
故障しなかったら、今頃は...。
っていう野球選手は星の数ほど居ます。
彼もその一人。
引退試合は泣けたなあ。
お子さんがマウンドで花束渡して...。
石井弘寿。
短い期間でも、
ハッキリと脳裏に焼きついて離れない。
素晴らしい投手だった。
恐るべきストレート。
キレきれのスライダー。
オチョクったような遅いカーブ。
あのカーブも凄かったなあ。
いやあ、名選手でした。
神宮の杜
by jingu17
| 2018-01-15 06:01
| SWALLOWS回想
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